
2020年、神戸市北区で、自閉症スペクトラムの男性が家族を殺害する事件が起きました。
この事件では、障がいを持った加害者は正常な判断ができる状態だったのか、加害者に責任能力はあるのかが争点となっています。
今回の記事では、自閉症スペクトラムと責任能力についてわかりやすく解説していきます。
障がいを持つ加害者に下される判決や、医者と裁判官のどちらの意見が優先されるかについて、気になる方は参考にしてください。
事件の概要と報道されている事実

兵庫県宝塚市の住宅で2020年6月、親族4人にボーガン(洋弓銃)を撃って弟ら3人を殺害したとして、殺人などの罪に問われた無職野津英滉被告(28)の裁判員裁判の公判が15日、神戸地裁(松田道別裁判長)であった。検察側は死刑を求刑し、弁護側は懲役25年が妥当と主張して結審。判決は31日に言い渡される。
(中略)
弁護側は最終弁論で、「自閉スペクトラム症は家族関係を清算し死刑になるという極端な思考に強く影響しており、被告は心神耗弱状態だった」と改めて訴えた。
「責任能力」とは何か――刑法の基本から考える

神戸市で起きた痛ましい事件の概要について紹介してきました。
それでは、「責任能力」とは何かについて、刑法の基本から考えていきます。
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「心神喪失」「心神耗弱」とはどういう状態?
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なぜ心の状態が刑の重さに関係するのか
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責任能力を判断するのは医者ではなく裁判所
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「善悪の判断ができるか」「行動をコントロールできたか」という基準
「心神喪失」「心神耗弱」とはどういう状態?
刑法では、人が罪を犯したときに「その行為が悪いことだと理解できたか」「自分の行動を制御できたか」が重要な判断基準になります。
心の障がいなどで上記のような判断が全くできない状態が「心神喪失」です。
心神喪失が認められれば、本人には責任能力がないとされ、無罪になります。
一方、理解や抑制が著しく低下している状態が「心神耗弱」です。
本人に責任はあるものの、刑は軽くなります。
判決を決めるのは障がいの有無ではなく、どの程度判断力が失われていたかなのです。
なぜ心の状態が刑の重さに関係するのか
刑法の目的には「再び罪を犯させないこと」も含まれています。
そのため、心の病気や障がいで善悪の判断ができないほど苦しんでいる加害者に、厳罰を科すのは適切ではありません。
社会全体の安全を守るためにも、医学的な知見をもとに「心の状態」を考慮し、適切に対処することが求められているのです。
責任能力を判断するのは医者ではなく裁判所
責任能力の有無を最終的に決めるのは裁判所です。
精神科医は鑑定を行い、「どのような症状があったか」「犯行時の心理状態はどうだったか」を専門的に分析します。
しかし、その意見をどう評価するかは裁判官の判断に委ねられます。
つまり、医学的診断が「心神耗弱」とされても、裁判所が「計画的であった」と判断すれば、責任能力が認められることもあるのです。
加害者の精神状態を考慮しつつ、最終的には社会的な公正さに基づいた判決が下される仕組みができています。
「善悪の判断ができるか」「行動をコントロールできたか」という基準
責任能力を判断する際の基本的な基準は、「善悪の判断能力」と「行動の制御能力」です。
「善悪の判断能力」は、自分の行為が悪いことだと理解できたかどうかにあります。
一方、「行動の制御能力」は、それを理解していながらも行動を抑えられたかどうか、という点です。
どちらかが著しく欠けている場合、「責任能力がない」と判断される可能性があります。
たとえば、強い幻覚や妄想に支配され、現実との区別がつかなくなっていた場合などがこれに該当します。
自閉症スペクトラム(ASD)の特性と誤解
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ここまで、「責任能力」とは何かについて刑法の基本から考えてきました。
それでは、自閉症スペクトラム(ASD)の特性と誤解について、下記で解説していきます。
- コミュニケーションが難しいとはどういうことか
- 「こだわり」「感覚過敏」「想定外への不安」――行動に影響する特性
- 知的能力とは別の問題:頭が良くても困ることがある
- 社会の中で誤解されやすいASDのリアル
コミュニケーションが難しいとはどういうことか
自閉症スペクトラム(ASD)の人のコミュニケーションが難しい原因は「話せない」「理解できない」ではありません。
言葉の裏にある感情や意図、相手の表情の変化などを読み取ることが難しいのです。
そのため、悪気なく失礼な言動をしたり、場の空気を読めずにずれた反応をしたりしてしまいします。
会話の中であいまいな表現や冗談を理解しづらい場合もあり、「冷たい」「空気が読めない」と誤解されてしまうケースも多いです。
実際には、真面目で誠実に対応しようとしている人が多いですが、周囲に伝わらないのが自閉症スペクトラム(ASD)の特徴と言えます。
「こだわり」「感覚過敏」「想定外への不安」――行動に影響する特性
自閉症スペクトラム(ASD)の人は、物事への強いこだわりや感覚の敏感さを持つことがあります。
音や光、触感に過敏で、普通の人には気にならない刺激が強いストレスになることが多いです。
また、予定の変更や想定外の出来事に強い不安を感じる傾向もあります。
これらの特性は、行動や生活パターンに大きく影響し、周囲から見ると「融通がきかない」「頑固」と映ることもあります。
しかし、本人にとっては安心感を保つための自然な行動であり、環境への理解と工夫があれば穏やかに過ごすことができるのです。
知的能力とは別の問題:頭が良くても困ることがある
自閉症スペクトラム(ASD)は、知的な能力の高さや低さとは別の次元の特性です。
中には非常に記憶力が優れていたり、理論的な思考が得意な人も多くいます。
しかし、コミュニケーションに苦手さを覚えることで、職場や学校での人間関係に悩むことがあります。
つまり、「頭が良いのに何でできないの?」という意見は誤解です。
得意・不得意の差が大きいことがASDの特徴であり、周囲がそのバランスを理解して支えることで、力を発揮できる場は広がります。
社会の中で誤解されやすいASDのリアル
自閉症スペクトラム(ASD)の人は、外から見ると「冷静」「感情が薄い」と誤解されることがあります。
しかし、実際には感情がないわけではなく、むしろ繊細で傷つきやすい人も多いです。
また、トラブルが起きた際に誤解され、「わざとやった」「反省していない」と勘違いされることもあります。
こうした誤解が積み重なると、孤立や偏見を生む原因になりかねません。
よって、我々の「普通」を基準にせず、多様な感じ方や考え方を尊重する姿勢を持つことが重要です。
それこそが、自閉症スペクトラム(ASD)の人が生きやすい社会をつくる第一歩となります。
過去の事件と比較して見えるこ

前の章では、自閉症スペクトラム(ASD)の特性と誤解について紹介してきました。
それでは、過去の事件と比較して見えることについて、下記で解説していきます。
- 発達障がいが争点になった裁判はどう判断されたか
- 精神鑑定が分かれる理由――「同じ診断でも結果が違う」
- メディア報道と世間の反応が与える影響
- 責任能力をめぐる議論が私たちに問うもの
発達障がいが争点になった裁判はどう判断されたか
過去にも、発達障がいがある被告の責任能力が争点となった事件は多くあります。
裁判では、障がいの有無そのものではなく、「犯行時に善悪の判断ができたか」「行動を抑えられたか」が焦点になります。
たとえば、計画性が高いと認められた場合、発達障がいがあっても責任能力が発生するケースが多いです。
一方で、強い妄想や極端なこだわりによって、冷静に判断ができなかったと判断される場合もあります。
その場合、心神耗弱や喪失が認定され、減刑される可能性が高いです。
つまり、「障がいがある=軽い罪」になるわけではなく、個々の状況に応じた判断が下されているのです。
精神鑑定が分かれる理由――「同じ診断でも結果が違う」
発達障がいと診断されても、症状の現れ方や生活環境、犯行時の心理状態によって、裁判の結果が異なる場合があります。
精神鑑定を行う医師の視点や評価方法にも違いがあり、鑑定結果が対立することも少なくありません。
また、裁判で求められるのは「責任能力の有無を判断する材料」です。
医師が「障がいがある」と述べても、裁判所が責任能力を認定すれば、減刑されることはありません。
メディア報道と世間の反応が与える影響
重大事件になると、メディアは「障がい」や「異常」という言葉を強調して報じることがあります。
しかし、そうした報道が誤解を招き、「発達障がいの人は危険」という偏見につながる危険もあります。
世間の反応が過熱すると、裁判にも間接的な影響を及ぼす可能性が高いです。
被害者感情や社会的圧力が、厳罰を求める空気を生み、冷静な判断を難しくすることもあります。
事件の背景や障がい特性を正確に伝えること、社会全体が感情的に判断しないことの2点が大切です。
責任能力をめぐる議論が私たちに問うもの
責任能力の議論は、「人を裁くとはどういうことか」という根本的な問いをへ投げかけています。
障がいや病気があっても、人は完全に責任から免れるべきではない。
しかし同時に、心の働きが正常に機能しない状態で行った行為を、同じ基準で裁くことが本当に公正なのかという問題もあります。
法と人間の心は、単純に線を引けるものではありません。
だからこそ、社会として「理解」「支援」「公正」のバランスを探り続ける必要があります。
責任を問うことは、一人ひとりの倫理観や人間観を見つめ直すことでもあるのです。
「理解」と「裁き」のあいだで――見過ごせない課題

ここまで、発達障がいや精神鑑定について、過去の事件と比較して見えることを紹介してきました。
それでは、障がいを持つ加害者を裁くうえでの課題について、下記で解説していきます。
- 「障がい=無罪」ではないが、「障がい=関係なし」でもない
- 司法と医療がもっと連携できる仕組みを
- 早期支援と予防の重要性――事件を起こす前にできたこと
- 社会の理解を広げる報道と教育の役割
「障がい=無罪」ではないが、「障がい=関係なし」でもない
自閉症スペクトラムなどの発達障がいがあっても、それだけで「無罪」になるわけではありません。
多くの人が日常生活を送り、社会のルールを理解して行動しています。
しかし同時に、障がいが行動や判断に影響を与えることも確かです。
司法の場では、障がいの存在を「関係ない」と切り捨てるのではなく、どのように影響したのかを丁寧に検証する必要があります。
責任を問うだけでなく、再犯防止や社会復帰のために、医学的・心理的支援を含めた包括的な対応が求められています。
司法と医療がもっと連携できる仕組みを
発達障がいや精神疾患が関係する事件では、司法と医療の連携が欠かせません。
裁判所が適切な判断を下すためには、医療専門家の知見が不可欠です。
一方で、医療側が抱える課題や支援体制の限界を理解することも必要です。
現在は、鑑定医の不足や専門知識を持つ法曹の少なさが問題となっています。
裁判後も、社会復帰支援や再発防止のために医療と司法が継続的に協力する仕組みが求められています。
双方の連携が進むことで、障がいのある方を支える司法が実現できるはずです。
早期支援と予防の重要性――事件を起こす前にできたこと
事件が起きる前に、適切な支援や環境調整があれば防げたケースもあります。
自閉症スペクトラムの人は、強いストレスや孤立、誤解の積み重ねから心のバランスを崩すことも多いです。
学校や職場での理解が乏しいと、生きづらさが限界に達してしまうこともあります。
そこで、気軽に相談できる窓口や支援体制があれば、問題の深刻化を防げる可能性があります。
事件が起きてからではなく、「起きないように支える」社会づくりが、これからの課題です。
社会の理解を広げる報道と教育の役割
発達障がいに関する報道は、事件のときだけ注目されがちですが、本来は日頃から理解を深めることが大切です。
「障がいだから危険」ではなく、「支援があれば安定して生活できる」という事実を伝える報道が求められます。
また学校教育でも、多様な特性を持つ人との関わり方を学ぶ機会を増やすことが重要です。
誤解や偏見は、無知から生まれます。
正しい情報を伝え、互いに理解し合う社会を育てることこそが、誤解を減らす第一歩となります。
責任とは何かを考える

先ほどの章では、障がいを持つ加害者を裁くうえで見過ごせない課題について紹介してきました。
それでは、今一度、責任とは何かについて考えていきましょう。
- 「責める」よりも「理解する」社会へ
- 誰かを裁くことは、自分の価値観を見つめること
- 事件残したメッセージ――「人はどこまで自分をコントロールできるのか」
「責める」よりも「理解する」社会へ
犯罪が起きると、つい「悪い人を罰するべきだ」と考えがちです。
しかし、その行動の裏には、病気や障がい、孤立や絶望などの背景があることも少なくありません。
もちろん、被害者の苦しみを軽視してはいけません。
ただ、同時に「なぜそうなったのか」を考える視点が、再発防止につながります。
責めるだけの社会では、問題を根本から解決することはできません。
理解と支援を軸にした社会が、真の安全を生むのです。
誰かを裁くことは、自分の価値観を見つめること
裁判や事件の報道を見るとき、「どんな判決が妥当か」を考えがちです。
しかしそれは同時に、「自分は何を正しいと思うのか」を問われていることでもあります。
厳罰を求めるのか、再生の機会を与えるのかの判断には、自分自身の倫理観や人生観が大きく反映されるはずです。
誰かを裁くという行為は、社会全体の価値観を映す鏡でもあるとも言えるでしょう。
事件残したメッセージ――「人はどこまで自分をコントロールできるのか」
今回の事件は、家族という最も近しい関係の中で起きた悲劇でした。
冷静に見えた行動の裏に、本人がどれほど心の葛藤や衝動を抱えていたのかを、完全に理解することはできません。
人は理性的な存在である一方、感情や環境に左右される脆い存在でもあります。
だからこそ、社会は「なぜ人は理性を失うのか」「どうすれば支えられるのか」を考えることが大切です。
責任を問うことは重要ですが、同時に「人間とは何か」を見つめ直す機会でもあるのです。
今回の事件を探偵はどう見る

今回の事件は、私たちに重い問いを投げかけています。
障害のある人が起こした事件を、社会はどう受け止めるべきでしょうか。
加害者を一方的に「責める」ことは簡単です。
しかし、背景の「生きづらさ」や「孤立」にも目を向けるべきです。
根本的な解決には、その視点が欠かせません。
「なぜ彼が事件を起こしたか」を理解しようとする姿勢が重要です。
障害の有無にかかわらず、誰もが孤立しない支援体制が求められます。
そして、互いの違いを理解し、受け入れる姿勢も大切です。
それこそが、悲劇を防ぐために私たちに求められる「責任」ではないでしょうか
